名著百選2014〜私が今年、出会った一冊〜
名著百選に参加したのは、これで三度め。
初回は「リプレイ」二度めは「安土往還記」と、その年の新著ではないものを選びましたが、今回は、わたしにとっての古典となりそうな、今年4月刊行の作品を紹介させていただきました。
「海うそ」梨木香歩(岩波書店)
十年二十年たってアルバムを見返した時、胸がしめつけられるように懐かしいのは旅行やイベントの写真よりむしろ、何でもない日常の写真のほう。時はすべてを変えてしまうから、ありふれた日々は去り、親しい人とは別れ、永遠を思わせた厳かな霊山でさえ変わっていく。
静かで真摯な気持ちにさせてくれる小説です。
明治の廃仏毀釈がモチーフの一つなのですが、色即是空、諸行無常といった仏教思想が単なる解説としてではなく、ストーリーそのものに溶け込んでいて、読み終わった後、自分がどこにいるのか一瞬、分からなくなりました。毎日の心配ごとのあれこれがすっぽり抜け落ちて真っ白になり、永遠のなかに連れ出されたようでした。
これを機に、とりこぼしていた作品を続けて何作か読んだのですが、そのうちの一つ、9月刊行の「丹生都比売 梨木香歩作品集」(新潮社)は担当の編集さんが手がけた本だったそうで、ご縁が嬉しくなりました。
名著百選2014〜私が今年、出会った一冊〜(ブックファースト新宿店)
http://www.book1st.net/shinjuku/blog/topics/7991
アマゾン展 ー森に生きる人々と暮らしー
東京・池袋の古代オリエント博物館で「アマゾン展 ー森に生きる人々と暮らしー」が開催されています。この展覧会では、今年の3月に惜しくも休館となった、山形県鶴岡市のアマゾン民族館の所蔵品が紹介されています。
「アマゾニア」を書く際には、アマゾンで暮す人々が日常生活でどんな道具を使っているのか、アマゾン民族館の展示物をずいぶん参考にさせていただきました。ゴムまりや仮面、樹皮による全身像など、作中で重要な意味をもたせた物も幾つかあります。休館はとても残念でしたので、久しぶりに東京でアマゾンの品々を観ることができて嬉しかったです。
ギャラリートークでは、アマゾン民族館の館長で、2万点にもおよぶコレクションを集められた山口吉彦氏からじきじきに、収集時のエピソードなどをうかがうことができました。装飾用の羽を取る時には先の丸い矢で射て鳥を殺さない、とか、大きな仮面(亀の甲羅で出来ていたりします)の目が、かぶる人の目とずれているために、仮面をかぶるとふらふらする、とか。この時は、アナコンダやジャガーの毛皮を触ることができました。
アマゾン展の開催期間は9月13日(土)〜11月24日(祝・月)です。ギャラリートークは10月25日にもあるそうですので、ご興味のある方はぜひお出かけください。
アマゾン展 ー森に生きる人々と暮らしー
http://aom-tokyo.com/see.html
中日新聞「こころは三河 私の古里」
中日新聞6月30日(月)朝刊「三河版」にインタビューが掲載されました。
「となりのトトロ」は昭和三十年代の東京郊外が舞台だと読んだことがあります。わたしの子供時代は五十年代でしたが、「トトロ」の世界そのままでした。
インタビューを受けて、三河を舞台にした「ひなのころ」について語りながら、真っ暗闇の田んぼの土手で光っていた蛍や、通学路の雑草を覆っていた白い霜のことを思い出しました。当時は何でもないこと、ありふれたことと思っていた日常の光景が、今では貴重な思い出です。
以下は豊田支局 橋詰美幸氏「取材を終えて」から「ひなのころ」の感想部分の引用です。
読めば自分の子供時代にタイムスリップしたかのよう。実際に体験した、あるいは、現実にはありえない出来事のはずなのに、鮮烈なイメージだけが残っているような、そんな昔の記憶がよみがえる。登場人物から飛び出す三河弁にも親近感がわく。故郷への愛着がこもっている。
「ひなのころ」は現在、以下の電子書籍サイトで販売されています。
[Kindle] [Kinoppy] [Kobo] [Reader Store] [iBookstore] 他
「シスターフッドの時代に」座談会記録
去年の5月、SFセミナー企画にパネラーとして参加しました。(こちら)
出演者は、水島希氏、高世えり子氏、小谷真理氏、柏崎玲央奈氏、それにわたしでした。その時の座談会記録が冊子にまとめられました。ジェンダーSF研究会から販売されています。ご興味のある方は下記へお問い合わせください。
・SFセミナー2013企画「シスターフッドの時代に」座談会記録
発行:ジェンダーSF研究会 http://gender-sf.org/
いま人気の「アナと雪の女王」を観て、シスターフッドという言葉を思い出しました。アナの「真実の愛」のお相手が「あの人」だったとは。雪の女王には、もう少しハメを外して暴れてもらいたかったのですが、根がまじめな人なので仕方ないかな…。
「眠りの町」と「通り雨」の旅
・「ぼくは〈眠りの町〉から旅に出た」沢村凜 ISBN:4041106508
・「通り雨は〈世界〉をまたいで旅をする」沢村凜 ISBN:4041106516
沢村凜さんの「通り雨」と「眠りの町」については、何を語ってもネタバレになってしまうので、感想を書くのが本当に難しい。読んでからずっと、どうやって書こうかと悩んでいたけれど、いっそ、沢村さんご本人にお伝えした感想をそのまま、ここに書いてしまおう。
ダンテの「神曲」は天国篇が退屈、という話を聞いたことがある。わたしは地獄篇から読み始めて煉獄篇の途中で飽きてしまって天国篇までたどりつかなかったので、そもそも、それが本当かどうか、検証さえしていないわけなのだけど。でも、その話を聞いて以来、いつかは、私が退屈でない天国を書きたいなーと思っていた。
だって、みんながそれぞれに幸せになりたいと思っているのに「人類には、天国(=幸せな世界)なんて退屈すぎて耐えられない」というのが事実だとしたら、こんなに哀しいことはない。「天国」という言葉に代々積み重ねられてきたイメージが退屈なのなら、ほんの一ミリでも、退屈でない天国のイメージを作り出せればいいな、と夢見ていたのだった。
それがもう二十年も昔の話。いまだに自分の想像力だけを武器に理想世界をつくりだそうと挑戦したことは一度もない。生きているうちに挑戦してみようという気になれるかどうかも分からない。年を重ねるほど、どんどん敷居が高くなる感がある。
だって、やっぱり地獄のほうに馴染みがあるから。現実にもフィクションにも地獄のイメージはあふれているから。こうなってほしくない未来なら、いくらでも思いつくけど「だったら、どうしてほしいのよ。言ってくれたら、つくってあげるから言いなさいよ」と神様に詰問された時、まともに答える自信がない。
「通り雨」と「眠りの町」は両方とも、魅力的な理想世界をつくりだすことに成功した小説だと、わたしは思います。読んでいる間じゅう、ずっと心を奪われていました。